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ミウラとコト

*番外編* 経営難、不祥事…球団解散の危機を乗り越えて ~愛媛マンダリンパイレーツ20年の舞台裏 ~

ミウラは、創業地松山のプロスポーツチームを微力ながら応援しています。
今回は愛媛のスポーツマガジンE-dgeライターさんに、普段は記事にならない
裏の話をお届けいただきました。
いつもとは違うミウラplusをお楽しみください。

登場人物紹介

やくしじん いさお
薬師神 績

YOKUSHIJIN Isao

星企画株式会社代表取締役会長 
愛媛県民球団代表取締役会長 

プロフィール

1948年、愛媛県宇和島市生まれ。宇和島南高、松山商科大卒。セーラー広告社勤務を経て1978年、星企画を創業。愛媛経済同友会代表幹事などを務めた。 愛媛マンダリンパイレーツは2006年から球団運営に携わる。 

Profile Picture

ただ りょうすけ
多田 良介

TADA Ryosuke

愛媛新聞社編集局デジタル報道部 
愛媛のスポーツマガジンE-dgeライター

プロフィール

1972年、愛媛県の北部 上島町生まれ。今治西高、京都府立大卒。 1998年、愛媛新聞社入社。運動部、政治部、社会部、東京支社勤務などを経て2018年からスポーツマガジンE-dgeの編集を担当。 

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三浦工業も応援する愛媛マンダリンパイレーツは、今年で創設20年目を迎える。愛媛の野球シーンにすっかり定着した球団だが、この間の歩みは決して平坦ではなかった。赤字経営や所属選手の不祥事など、球団設立当初の苦難の時期をどう乗り越えてきたのか。愛媛マンダリンパイレーツを運営する松山市の広告会社「星企画」会長、薬師神績(いさお)の視点で20年を振り返る。 

スタジアムが満員になった感覚 

坊っちゃんスタジアムに7067人が詰めかける中、華々しく開幕した四国アイランドリーグ(2005年4月29日) 
ⓒEhime Shimbun  

新たな船出を祝うかのような快晴だった。2005年4月29日、日本初の野球独立リーグ「四国アイランドリーグ」が開幕した。オープニングセレモニーの会場となった松山市の坊っちゃんスタジアムには野球ファンらが続々と詰めかけ、その数7,067人に達した。 
この光景に、リーグの広告営業担当として参列していた薬師神績は胸をなでおろした。
「20年を振り返って一番に思い出すのはこのシーンですね。最初の試合ですから、来場者数が全く読めなかったんです。極端に言えば、100人や200人だったらどうしようかという不安もありました。だけど、7,000人余りも入ってくれて。坊っちゃんスタジアムの定員は3万人ですが、私たちにすればスタジアムが満員になったような感覚でした。」 

”運命的”な出会い

四国アイランドリーグの創設者、石毛宏典(右)と並んで会見する薬師神 
ⓒEhime Shimbun 

高校時代は写真部で、大学ではユースホステル部に所属。野球とは無縁だった薬師神が四国アイランドリーグに関わるようになったのは、開幕からさかのぼること半年余り前のある出来事が発端だった。 

2004年秋と言えば、プロ野球新球団の加盟を巡ってともにIT企業の楽天とライブドアが名乗りを上げ、球界が沸き立っていた時期だった。そんな9月のある日、薬師神はスポーツ紙の1面に目を奪われた。「日本初のプロ野球独立リーグ、四国に誕生」の大見出しがついた記事は、西武ライオンズ黄金時代の中心選手だった石毛宏典が、四国4県の県庁所在地をフランチャイズとする4球団による新リーグを創設するという内容だった。 

「これは四国にとって願ってもない話だ。」そう感じた薬師神はすぐに行動を起こす。石毛とは全く面識はなかったが、知人を介してすぐに連絡を取り、高松市まで会いに行った。「独立リーグ構想に大賛成です。四国を代表してお礼に来ました。」こう伝えると、石毛も感激し、ふたりは両手でがっちりと握手を交わした。 

その3日後、薬師神の携帯電話が鳴った。声の主は石毛。広告会社を経営していると伝えていた薬師神にリーグの広告営業の担当になってくれないかという依頼だった。思わぬ形でのリーグ運営への参画だったが、薬師神はこう振り返る。 

「何か運命的なものの不思議さを感じますね。石毛さんにお礼に行って握手をしてなかったら、そして私が広告会社じゃなかったら、こんな話もなかったでしょうから。ただ、私自身、規模は小さくても会社を創業した。日本で最初の独立リーグを四国につくろうという石毛さんの精神に本当に共感しました。」 

球団保有を決断 

試合後、愛媛マンダリンパイレーツの選手と触れ合う子どもたち。薬師神は野球を志す子どもの夢につながると判断し、球団保有を決断した 
ⓒEhime Shimbun 

華々しく開幕した四国アイランドリーグだが、その時すでに経営は火の車だった。選手集めなどに多額の費用がかかり、資金不足に陥っていた。リーグ創設者の石毛は、野球はプロでも、経営は素人。「通帳にお金が無くなりました。」あっけらかんと連絡してきた石毛を薬師神は放っておけなかった。週に3日は高松に赴いて、石毛の隣に机を置いて善後策を練り、協賛各社からの増資で何とか1年目のシーズンを乗り切った。 

1年目は4県の各球団が高松に本社のある「IBLJ」というリーグの運営会社に所属していた。しかし、2年目からは経営効率化や地元企業の支援を得やすくする狙いで、4球団に分社化されることになった。薬師神は石毛とともに県内の大手企業を回って愛媛マンダリンパイレーツの引き受け手探しに奔走。しかし、球団の存在意義には理解を示すものの、首を縦に振ってくれる企業は最後まで見つからなかった。 

2年目のシーズン開幕が近づく中、薬師神は火中の栗を拾う決断をする。星企画が1千万円を出資して、愛媛マンダリンパイレーツの運営会社を設立することにした。損得ではなく、球団を存続させることが、地域活性化や野球を志す子どもの夢や希望につながると判断したのだ。決断の際、薬師神はこう石毛に念を押した。 

「星企画が球団を何年も担っていける体力はとてもありません。野球で言えば、うちは先発投手の役割を果たしますので、今後も一緒に引き受け手を探してください。」 

薬師神にしてみれば、経営体力がある会社が見つかるまでの「つなぎ」のつもりだった。しかし、引き受け手はその後も見つからず、現在に至っている。国内に広告会社は何千社とあるが、プロ野球チームを保有しているのは星企画ただ一社だけ。オンリーワンの自負はある。とはいえ、球団経営は薬師神にとって苦難の始まりだった。 

幾度もあった眠れぬ夜 

選手の不祥事を受け、球場でファンに謝罪する薬師神(2009年5月1日) 
ⓒEhime Shimbun 

厳しい経営は覚悟していたが、実際にシーズンが始まってみると過酷さは想像以上だった。選手・スタッフの人件費や運営費など年間支出を1億円程度と見積もり、それ以上の収入確保をめざした。しかし観客動員、広告収入とも伸び悩んだ。資金不足に陥り、本体の星企画から借り入れることが3年、4年と続いた。借り入れ累計は1億円を超え、本体の経営も圧迫するようになってきた。この間、薬師神は眠れぬ夜が幾度もあったと明かす。 

「月末に選手やスタッフに報酬を支払わないといけないけど、手持ち資金がどんどん減って……。球団では選手や監督・コーチ、星企画では社員の皆さんや家族、それぞれの生活に責任を負っている立場。両方の経営が破綻したらと考えると、不安というより恐怖でした。」 

貧すれば鈍すというが、5年目のシーズン開幕当初にはショッキングな出来事が起こった。球団の所属選手が傷害事件で逮捕されたのだ。被害者はもちろん、ファンやスポンサーにも迷惑をかける事態に、薬師神は球団の解散も覚悟した。事件発覚当日の夕方に会見を開いて謝罪。その翌朝からは2日間かけて県内全20市町をお詫び行脚し、リーグ戦の球場では監督や選手の先頭に立って頭を下げた。 

感動という配当を 

県から球団への出資を決め、愛媛マンダリンパイレーツを支援した加戸元知事 
愛媛マンダリンパイレーツ提供 

厳しい経営に、致命的な不祥事。「毎日が修羅場だった」(薬師神)という状況からようやく光が見え始めたのは、傷害事件から数カ月が経った頃だった。 

坊っちゃんスタジアムに来賓として観戦に来ていた加戸守行知事(当時)が問わず語りに「これだけ地域に根付いた活動をしてくれている球団に、県としても出資できないかなあ」とつぶやいた。愛媛マンダリンパイレーツは小学校の登下校の見守り活動や高齢者施設の慰問など、年間200回を超える地域貢献活動を実施している。加戸はそのことを高く評価していたのだ。薬師神は即座に答えた。 

「それは心強いです。経営者として勇気が湧いてきます。」 

加戸は言葉通り、2009年の9月県議会で球団に対する3千万円の出資を提案。議会の一部からは「赤字球団に税金を投入するのはどうか」との指摘もあったが、最終的に全会一致で賛同を得た。また、県内の市町でも中村時広・松山市長(当時)がトップを切って出資を決めると、全20市町が足並みをそろえる形で計3千万円の出資を決定した。行政の動きに企業も呼応した。愛媛銀行の中山紘治郎頭取(当時)が音頭を取り、県内企業に支援を要請。70社余りから1億円を超える資金が集まった。 

こうして2010年4月、愛媛マンダリンパイレーツは運営法人の名称を「愛媛県民球団」に変更した。それまで星企画1社による綱渡りの経営状況から、個人会員も含め官民が球団を支える体制となったことは、薬師神にとって何より力強いサポートになった。 

「税金を預かっているわけですから、球団を経営破綻させてはいけないという使命感が一層強くなりました。独立リーグの球団はその後、全国に増えましたが、自治体や民間企業が株主になり、名実ともに『県民球団』となっているのは愛媛だけです。これは誇りにしたいですね。」 

県民球団の枠組みが固まった頃、薬師神は加戸にお礼に行った。「税金で出資してもらいましたが、今の経営状況では株の配当は当面できそうにありません。」そう伝えた際の、加戸の返答が振るっている。 

「それは気にすることはありません。お金の配当ではなく、県民の皆さんに“感動という配当”を与えてください。」 

一番の喜びは選手の成長 

幾多の苦難を乗り越え、愛媛マンダリンパイレーツの経営に当たってきた薬師神 
愛媛マンダリンパイレーツ提供 

愛媛マンダリンパイレーツは2015年、悲願の独立リーグ日本一を達成し、翌2016年も四国アイランドリーグ連覇を果たした。NPB(日本野球機構)のドラフト指名はしばらく途絶えていたが、2022年に11年ぶりに指名を受けると、昨秋は過去最多の3人が念願のNPB入りを決めた。観客数の低迷など課題はあるが、20年の時を経て、球団は愛媛の地にしっかり根を張って活動を続けている。 

薬師神は球団経営に携わり、数えきれないほどの苦労を味わった。それでも20年を振り返って充実した表情でこう語る。 

「20年よく持ったというより、持たせ続けなくてはいけないという責任感と使命感でやってきました。リーグ優勝やドラフト指名の瞬間ももちろんうれしいですが、一番の喜びはやっぱり選手一人ひとりの成長ですね。母子家庭で育った選手も結構いるんですが、初めてホームランを打ったボールを大切そうに『母親に渡します』とかね。そうした選手個々の人生物語に触れるたび、球団経営に関わって倒産させないでここまでやって来られて本当によかったなと思います。」 

あとがき 

愛媛マンダリンパイレーツさんは順風満帆で始まったと思っていましたが、このような生みの苦しみがあったとは!!

これからも、しっかり応援させてもらいます。

不定期ではありますが、これからもミウラplus番外編を企画して参ります。愛媛FCさん、愛媛オレンジバイキングスさんの裏話も企画していきますのでお楽しみに♪ 

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