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ミウラとコト

*番外編*東京の天才が、愛媛で努力家に変わるまで~愛媛FC・石浦大雅の成長物語~

ミウラは、創業地松山のプロスポーツチームを微力ながら応援しています。
今回も、愛媛のスポーツマガジンE-dgeのライターさんに書き起こしていただいた、普段は記事にならないウラの話をお届けします。
「いつもとは違うミウラplus」 第2弾です。お楽しみください。

登場人物紹介

いしうら たいが
石浦 大雅

ISHIURA Taiga

J2リーグ・愛媛FC所属

プロフィール

2001年11月22日生まれ、東京都町田市出身。小学校年代から名門・東京ヴェルディアカデミーに所属。2019年、ユース時代に2種登録選手としてJ2第42節・FC岐阜戦でJリーグデビューを飾る。翌2020年にトップチームに昇格し、着実に出場機会を増やしていくもプロ3年目に挫折。2023年に再起をかけて愛媛FCへ移籍し、シーズン途中で主軸へ成長してチームのJ3優勝に貢献した。 

Profile Picture

まつもと たかし
松本 隆志

MATSUMOTO Takashi

愛媛のスポーツマガジンE-dgeライター

プロフィール

愛媛県松山市出身。出版社勤務を経て2007年にフリーの編集者へ転身。2009年より愛媛FCを中心としたプロサッカークラブの取材活動を始める。サッカー専門紙エルゴラッソ、サッカーダイジェスト等へ寄稿。ライター業とともにフォトグラファーとしても活動する。  

Profile Picture

『人ってそんなに簡単には変わらない』

よくそんな言葉を耳にすることがありますよね。多分、それって本当。人の本質はちょっとした覚悟や思いつきで変えられるものではありません。だからこそ、自分の殻を打ち破って変わることができた人にはとてもポジティブなエネルギーを感じるものです。

私は昨年、そんな“変わった人”に出会いました。まだあどけなさの残る21歳(当時)。彼は2年前まで東京で「天才」と呼ばれていました。皆が太鼓判を押す豊かな才能。しかし、若さゆえの尖った性格も災いしてか、自らの殻を破れなかった天才を評する褒め言葉にはいつも“だけど……”という逆接がつきまとっていたのです。

でも、彼は変わりました。

自分に足りないものは何なのか。自分が本当に望んでいる姿はどういうものなのか。不退転の覚悟で見知らぬ土地へやってきた天才は今、愛媛の地で人一倍汗をかく努力家に変貌しています。

その人は、ミウラも支援するJ2リーグ愛媛FCで活躍するミッドフィールダー、石浦大雅選手です。Jリーグの名門クラブ、東京ヴェルディから2023シーズンに愛媛FCへ移籍。シーズン途中で急成長を遂げ、チームのJ3優勝に大きく貢献するなど、今やチームに欠かせぬ中心選手としてピッチを躍動しています。

東京の天才だった彼が、愛媛で努力家になるまでのドラマチックなシンデレラストーリーを紹介しましょう。

東京ヴェルディで頭角を現す 

東京都町田市出身の石浦少年はサッカー経験者だった父親の影響で幼少時からサッカーを始めました。スタートは地域の小さなサッカークラブ。しかし、父親は息子の才能を感じてか、数多くの名サッカー選手を輩出してきた東京ヴェルディのアカデミー(育成組織)へ転入することを切り出してきたのです。 

地域の町クラブにも愛着を感じていた石浦少年は少し迷いますが、父親は息子の負けん気の強さを利用してうまく誘導します。「親父は『こっち(東京ヴェルディ)のほうがレベル高いよ。でも大雅がレベルの低い方が良いならそれで良いけど』みたいに間接的に感情を煽ってきたりして」。結局、入団試験を受けることになりました。 

東京ヴェルディのアカデミーはサッカー少年の憧れの的。多くの少年たちがその門を叩きますが、3次試験まであるセレクションの過程でほとんどが振り落とされ、入団できるのはほんの一握りです。が、やはりそこは天才くん、あっさりと試験をパスし、小学3年生で東京ヴェルディアカデミーの一員になります。ちなみに同期で試験に受かったのは石浦少年を含めて3人だけだったとのこと。 

でも、石浦少年にいきなり試練が訪れました。ヴェルディの試験に受かった次の日に学校の体育の授業で骨折。3カ月遅れでリハビリからの練習参加になってしまいます。 

「ずっと休んでいたから最初は全く練習について行けなくて。動けないし、下手になってるし。遅れていたから人間関係でも気を使いすぎて、そのときが一番サッカーのことを嫌いになりかけてた。あと、町クラブでは自分中心で、全員が僕にボールを集めてくれていたけど、ヴェルディではひとつのピース。そういうのも最初はちょっと厳しかった」 

チームには天才と呼ばれる少年がゴロゴロ。お山の大将だった少年の鼻っ柱はあっさりとへし折られました。 

ただ、天才の苦悩は天才が一番よく理解できるもの。苦しみながらも切磋琢磨しながらお互いを高め合える仲間が多かったことで、次第に頭角を現し始め、その後はジュニアユース(中学年代)、ユース(高校年代)と順調にステップアップを果たし、気がつけばプロの世界が目の前にまで迫っていたのです。 

幼少時から“天才”と呼ばれてきたゆえんは優れた技術力と攻撃面での創造性。瞬時の判断で決定機を演出するゲームメーカーとして名を馳せてきた 
©︎EHIMEFC 

プロ3年目、居場所がなくなった

サッカー選手には瞬間的な創造性と判断力が問われますが、石浦選手のように攻撃的なポジションでプレーする選手にはさらにその能力が強く求められます。ただ、「僕は他の選手よりサッカーIQが長けている」と本人はその点において自信満々。広い視野で周囲の状況を確認し、すぐに効果的なパスコース見つけてズバッとチャンスを作り出す。石浦選手はまさにそんな天才的な攻撃センスの塊でした。 

ただ、才能は誰もが認めるものの、一方で石浦選手には常に疑問符もつきまとっていました。 

「ずっと天才とか、上手いと言われていても、“けど戦えない”、“けど走れない”とか、いつも“だけど”っていう言葉がつきまとっていて、それもあって僕はなかなか日本代表やトレセン(ナショナルトレーニングセンター制度)に呼ばれなかった。それまでの僕はどうやって相手をオシャレにかわすかとか、良いスルーパスを出すかみたいな自己満足のプレーばかり。個人スキルで自分を表現することしか頭になかった」 

ユース時代の監督で、のちにトップチームでも指導を受けるクラブOB永井秀樹監督の熱血指導もあって“自己満”体質は徐々に改善。「そこからは自分の能力が広がっていく一方。サッカーが心から楽しいって感じられるようになった」。自信がつくと、世代別日本代表にも招集され、高校3年時には2種登録選手としてトップチームに加わり、翌シーズンのトップチーム昇格も決まりました。 

プロ1年目こそ出場機会はあまり得られなかったものの、2年目はユース時代の恩師、永井監督のもとで着実に経験を積み重ね、3年目は開幕戦からスタメンの座を奪取。ついに飛躍のシーズン到来か……と思われましたが、現実はその逆でした。 

「3年目になってプロのレベルにも慣れて、周りと同じような肌感でやれるようになったけど、その時に監督が代わってしまって。やろうとするサッカーや、求められることも大きく変わり、一気にメンバー外まで落ちてしまった。自分のサッカー感と違いすぎて、新しい監督やコーチングスタッフと上手くいかなくて。自分も若いから、そういうところが態度に出てしまっていたところもあったし。その時、自分はもうここでは無理だな、と思ってしまった」 

出場機会は目に見えて減少し、精神的にも追い込まれていった石浦選手に居場所はなくなりました。クラブとの契約は残っていたものの、期限付き移籍(レンタル移籍)という形でチームを飛び出したのです。  

今となっては前線からのチェイシングは石浦選手の強みになっているが、かつては守備でのハードワークを苦手としていた 
©︎EHIMEFC 

いや、俺はやるんだよ!  

新天地は縁もゆかりもない土地。カテゴリーが一つ下のJ3で戦う愛媛FCでした。 

多くの有望な若手選手にとって期限付き移籍は出場機会の得られやすい下部カテゴリーで経験を積む“武者修行”の場。そして、元いたクラブへ帰って成長の証を示すことが通例ですが、石浦選手にはあとがありません。まさしく不退転の覚悟で愛媛にやって来たのです。 

しかし、その気合いは空回りします。 

「自分の中で今季は勝負の年だと意気込んでいたのに、ヴェルディの圧から解放された安心感と、慣れない土地に来たというのもあって熱が出てしまい、1週間くらい寝込んでしまった。3日遅れでチームに合流し、それを取り返そうと頑張りすぎて、いつもはしないようなプレーで捻挫して離脱。トレーナーが(全治)4週間かかるというところを頭を下げて、無理やり2週間で復帰させてもらったら次の日に肉離れ(苦笑)。それが治りかけたときもまだ足が痛くて、これはちゃんと治さなきゃいけないって思った頃にはもうシーズンが開幕してた」 

完全なるスタートダッシュ失敗。コンディション面による遅れからくる焦りに加え、チーム内の評価も当初は芳しくなく、実戦の機会はリーグ戦の翌日に行われる大学生やアマチュアチーム相手の練習試合ばかり。出場機会を得られない苛立ちでフラストレーションが溜まる中、練習試合ではハードワークを求めるコーチに口ごたえをし、不穏な空気が流れたこともありました。 

愛媛のチームスタイルとしては攻撃陣も前線から守備でハードワークが求められます。石浦選手は練習試合でゴールもアシストもどんどん重ねますが、光るスキルは攻撃時のみ。“走れない”、“戦えない”という不名誉なキャラは払拭できていないままで、“だけど”というネガティブな接続詞が、新天地でもつきまといそうでした。 

しかし、石浦選手はついに目を覚まします。その大きなきっかけは愛媛FC指揮官、石丸清隆監督のちょっとしたひと言でした。 

「試合に出してもらえなくて、自分は愛媛にいる意味があるのかと感じた時、一度マルさん(石丸監督)とお話させてもらったことがあって。マルさんは冗談混じりで『お前みたいなプレーヤーは守備をそんなにまじめにやらなくて良いんだよ。そういうのは守備が向いてる選手がやるんだから。お前は最後の仕留めるところに集中してくれ』と言ってくれた。マルさんの考え方はそうなんだ?って思ったんだけど、いや、自分が求めてるのはそうじゃない、っていう気持ちも同時に湧いてきた。攻撃だけというのは自分が本当にやりたい選手像じゃないんだって。何となく守備もできる選手になりたいと思っていたけど、いざ、やらなくて良いんだよって言われて確信したんです。いや、俺はやるんだよって」 

やらなくて良いと言われると逆にスイッチが入る天邪鬼(あまのじゃく)ぶりはいかにも石浦選手らしいのですが、そうと決まれば即行動。目の色が変わった天才は徐々に出場時間を増やし始め、シーズンがちょうど折り返したばかりの第20節・松本山雅FC戦でチームの危機を救う劇的な同点ゴールを奪取します。すると、次の試合で移籍後初めてスタメンに抜擢されます。そこで見せたのは天才のイメージとはかけ離れた、最前線から献身的な守備でハードワークを惜しまない努力をする姿でした。 

2023年J3第20節・松本山雅FC戦。途中出場からピッチに立ち、劣勢の展開から移籍後初ゴールを奪取。巻き返しの狼煙を上げた 
©︎EHIMEFC 

自分自身に矢印を向けるようになった 

『あれ? 石浦ってこんな選手だったっけ?』 

そう思ったのは筆者だけではありません。センスだけで勝負してきた天才は、泥臭いハードワークでチームに貢献。躊躇なく全力で駆ける姿に“やらされている感”はなく、むしろ自らの理想に近づこうとする勢いがありました。センスにハードワークが加わってモデルチェンジした石浦選手への周囲の評価は一転。“天才だけど”と揶揄された姿を過去のものとし、“天才なのに汗もかける”という誉れの言葉を浴びるようになったのです。 

東京ヴェルディで石浦選手と2年間一緒にプレーし、同時期に愛媛へ移籍してきた山口竜弥選手も、そばでその苦悩を見ていたからこそ、大きな変化を感じていたようです。 

「俺が偉そうに言うことじゃないけど、自分自身に矢印を向けられるようになった。アイツはヴェルディで培ってきた技術があるから今までは自分を認めてくれる環境を待ち続けていた。アイツの評価基準は技術で、その技術はものすごく優れている。自分は良いプレーヤーだから、あとは認めてくれる環境を待つだけだと思っていた。 

でも愛媛で試合に出られない環境が続き、そうじゃないんだと気づいて矢印が変わったんだと思う。ヴェルディを抜けたことによってサッカー選手としての価値観が変わった。もともとは真面目な性格だし、サッカーに対する情熱もものすごくあるヤツ。それに気づけば、あとはそこへエネルギーを注ぐだけ。今までは(守備が)そんなに必要じゃないと思っていたからやらされている感じになっていたけど、これも必要なんだと思えるようになったから前向きに見えるし、まわりにも一生懸命さが伝わってくる」 

もちろん持ち前の攻撃センスもいかんなくピッチで発揮。本格的に出番を得たのはシーズンを折り返してからにもかかわらず、5ゴール、4アシストと堂々の結果を残し、躍動する若い愛媛FCを象徴する選手に成長したのです。 

シーズン半ばまでは出場機会に恵まれなかったが、自身の殻を破ると存在感は一気に高まり、替えの効かないチームの中心選手へ成長した 
©︎EHIMEFC 

愛媛を高みに導く覚悟 

大きく成長したがゆえにシーズンオフには、クラブやファン、サポーターが少しやきもきしたのも事実です。選手としての魅力を大きく向上させた石浦選手にはライバルクラブも関心を寄せ、その去就には多くの注目が集まることになったのです。 

昨シーズンに保有元の東京ヴェルディは16年ぶりのJ1昇格を決定。自身、「ヴェルディがJ1に昇格して、正直なところヴェルディでやりたかったというのもある」とチラッと本音を覗かせますが、“覚悟”は決まっていました。 

「今までずっとヴェルディにいたのに、自分がいなくなった途端にJ1昇格したのが悔しかった。だから、俺にもできるんだよっていうのを見せたい気持ちもあって愛媛を選んだ。自分が愛媛を高みに導こう。もう、その気持ちしかなかった」 

J2に昇格した愛媛FCとともに石浦選手は今季も躍動中。自身2年ぶりのJ2の舞台だが、見える景色は大きく違っているようです。 

ヴェルディでやっていた時とは感覚が違う。当時よりも余裕があるし、自信もある。あとは結果だけ」 

実は石浦選手の東京ヴェルディユース時代の同期は、自身を含めて5人がプロ選手になった“大豊作”の年代。その顔ぶれは実に豪華で、すでに日本代表にも招集された経験を持つ藤田譲瑠チマ選手を出世頭に、昨シーズンからベルギー1部リーグ、シント−トロイデンVVで活躍する山本理仁選手、J1北海道コンサドーレ札幌でプレーし、パリ五輪を目指すU-23日本代表で主軸を張る馬場晴也選手らは、すでに視野を世界へ向けているほどに飛躍を遂げています。 

そう考えれば石浦選手は少し遅れを取っているように見えますが、成長速度は人それぞれ。昨シーズンようやく自らの求めるサッカー選手としての本質にたどり着いたばかりの22歳にとっては、同期の活躍は刺激にこそなれ、物差しで比較することに大きな意味を感じていないはずです。 

挫折を知らず成功一直線のシンデレラストーリーではつまらない。一旦は出世コースから外れながら、自らの殻を打ち破って飛躍を遂げる姿は痛快そのもの。石浦選手が紡ぐ波瀾万丈の成長物語には、まだまだ楽しみな続編がありそうです。 

昨シーズン終了後に愛媛FCへの完全移籍を決断。愛媛をさらなる高みに導く決意を固めた石浦選手 

あとがき 

“天才なのに汗もかける”石浦選手。自分がやりたい姿を見つけ出し、即行動する姿がかっこいいですね。

これからも三浦工業は愛媛FC、石浦選手を応援していきます!

不定期ではありますが、これからもミウラplus番外編を企画して参ります。次回は愛媛オレンジバイキングスさんの裏話も登場しますのでお楽しみに♪ 

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