「強い信念を持って努力すれば夢は叶う」~人生が拓けた海外駐在~
プロフィール
うらせ しんや浦瀬 新也
URASE Shinya
神戸支店 尼崎メンテナンス課 係長
愛媛県宇和島市出身。2007年に三浦工業へ入社後は検査部にて舶用製品検査などを担当し、その後、北九州支店・姫路支店でフィールドエンジニアとしてメンテナンス業務に従事。現場経験を積んだ後、2020年からミウラアメリカに駐在し、3年半にわたり米国でのメンテナンスの支援を行いました。
現在は神戸支店にてメンテナンス業務を担当しています。家族は妻と子ども2人。駐在生活を通じて子どもたちは英語に親しみを持ち、今でも英語の番組を楽しんでいます。
猪井さん:早速ですが浦瀬さんが三浦工業へ入社されて最初の検査部ではどういった業務を担当されたんですか?
浦瀬さん:製品を出荷する前の検査や、ルール通りに出来ているか工程をチェックしました。私は舶用製品の担当だったのですが、海外の検査官に説明をしたり、検査に立ち会ったりする機会も多かったです。
猪井さん:そのころから英語は堪能だったんですか?
浦瀬さん:いえいえ、まったく…検査部に入って、業務上英語を使うシーンが多く、仕方なく勉強しはじめたのがきっかけです。社内の「英会話クラブ」や、オンラインスクールなどで学びました。
猪井さん:ミウラでは、海外に行きたい方は手を挙げることができると伺ったんですが…
浦瀬さん:そうですね。私が初めて海外に行きたいなと思ったのは、海外の検査官の話を聞いたことがきっかけですね。検査部の頃に海外勤務を希望していましたが、そのあとで北九州支店のメンテナンス課に異動になりました。「トレーニー制度※」に参加したのが入社6年目の頃でした。
猪井さん:「トレーニー制度」とは、どんな制度なんでしょうか?
浦瀬さん:これは、海外で営業やメンテナンス職を希望する者を募り、約3か月間実際に現地に行って、現地社員と共に学ぶ制度※です。トレーニーの私たちは日本で学んできた事から現地社員の教育をしたり、その過程で文化や考え方の違い、伝え方などを実践で学んだりします。
※現在の「Miura Global Talent School」
猪井さん:ミウラでは、海外で活躍できる人財を計画的に育成しているんですね?
浦瀬さん:はい。おかげで私の海外赴任の夢が現実になりました。
猪井さん:そして、海外赴任の話がきたのが2020年。
浦瀬さん:はい。2020年4月に辞令を受けました。
猪井さん:コロナ禍では、大変だったでしょうね。
浦瀬さん:本当に大変でしたね。ビザの関係で、日本人は入国できない状況でアメリカに行くまで半年かかりました。2020年9月にようやく渡米できました。 ただ、世界中が大変な状況でしたので、直接対面で会うことがなかなかできず初めはコミュニケーションを取るのがかなり難しかったのを思い出します。
猪井さん:在宅や、オンラインミーティングなどで業務を行っていたんですか?
浦瀬さん:はい。渡米直後のオンラインミーティングでは、顔が見えないことで、相手の感情が分かりづらく、不安しかありませんでした。しかし、録音して聞き返すうちに、話していることは理解することができるようになりました。コミュニケーションがとりやすくなったと感じられるようになったのは、渡米半年後あたりの、全員が出社できるようになった頃からです。
猪井さん:アメリカはどちらに行かれたんですか?
浦瀬さん:メインではオレンジカウンティ(OC) 、定期的にロサンゼルス(LA)と、サンフランシスコ(SF)の事務所に行っていました。

猪井さん:アメリカではどんな業務を行っていたんですか?
浦瀬さん:駐在員の仕事はいろいろありますが、日系企業に対して、現地社員と企業担当者の橋渡しの役目も多かったですね。将来的には現地社員だけで運営していくことが会社の目標のため、現地社員のサポートをするアドバイザーです。
猪井さん:どんな企業と取引があったんですか?
浦瀬さん:日系でいうとカリフォルニアのLAやOCは、即席めん、豆腐、味噌など食品系の工場が多いです。SFは、水がきれいなので例えば日本酒や醤油などの工場がありました。現地企業も含むといろいろな業種との取引を行っていました。
猪井さん:苦労されたこともあったのではないでしょうか?
浦瀬さん:ありましたね。アメリカでは、会社と社員のあいだで「Job Description」というものがあります。ここには、自分の業務内容や責任範囲が明確にされています。 記載されている業務以外は、「自分の仕事ではない」と受け入れてもらえないこともあり、その人の業務内容に関連付けてその仕事をしてもらえるように説明するのに苦労しました。
猪井さん:日本と海外では、価値観も大きく違うんですね。
浦瀬さん:まったく違いますね。アメリカでは、「サービスを提供する側とされる側が対等」という考え方が主流です。また、日本だと「言わなくても気づいてくれるだろう」ということも理解してもらえず、うまくいかないことが多かったです。会議では誰がいつまでになにをするか、議事録やメールで記録を残すように意識しました。
猪井さん:海外に行ったことで、身についたことを教えてください。
浦瀬さん:そうですね。一度、多様な意見や考えを受け入れて、その中でどうすればよいか考えるようになりました。ひとつのことをさまざまな視点で見たり、考えたりできるようになりました。
猪井さん:ご自身にも大きな変化があったんですね?
浦瀬さん:はい。相手に自分の考えをきちんと伝えることの大切さを強く感じましたね。駐在中には、さまざまなことがありましたが「なんとかなるだろう」と思えるようになりました。
猪井さん:ご家族は、あとからアメリカに?
浦瀬さん:半年後に、家族がアメリカにきました。(妻と当時4歳の娘・2歳の息子)まだ子どもが小さかったので、妻は大変だったと思います。しかし、子どもを介して友人ができ海外の生活を楽しんでいました。また、子どもたちの成長には大きく影響しましたね。積極的になり今は英語を聞き取る力も身につけています。
猪井さん:ご家族でいろいろなところへ出かけられたんですか?
浦瀬さん:カリフォルニアは国立公園が多く、家族でよく出かけました。グランドキャニオンやブレイスキャニオン、世界で一番暑いと言われているデスバレー、モニュメントバレーなどにも行き、貴重な経験ができました。


猪井さん:さまざまな出会いもあったでしょうね。
浦瀬さん:そうですね。別の会社の駐在員とも、仕事だけではなくプライベートでも助け合うことが多かったですね。家族ぐるみでの付き合いもあり、日本では得られないご縁ができたことは一生の宝物です。
猪井さん:食の面ではいかがでしたか?
浦瀬さん:カリフォルニアは、さまざまな国から人が集まっているので食の面では困りませんでした。お米が手に入ったので、家では日本食を楽しみました。ただ物価が高くラーメン1杯3,000円には驚きました。外食は控えめでしたね。比較的リーズナブルでよく食べたランチはハンバーガーです。

猪井さん:おすすめのお店はありますか?
浦瀬さん:LAで人気のハンバーガーショップに良く行きましたね。
猪井さん:大谷翔平選手が好きなハンバーガーですね!
浦瀬さん:そうです。大谷選手といえば当時エンゼルスに所属していたので観に行きましたね。OCの事務所からおよそ15分の場所に球場があり現地スタッフと応援に行きました。
猪井さん:それは楽しそうですね!ところで、ミウラアメリカでは、ニックネームをつける慣習があるとお聞きしたんですが浦瀬さんは?
浦瀬さん:はい。私は、「SHIN」と呼ばれていました。周りの方から名付けてもらうことが多いようですが、私はトレーニーで初めてアメリカに行った時に自分で付けました。今思えば、誰かにつけてもらえばよかったなと思います。駐在員として行った時には当時のニックネームで呼んでくれる人がいて変えることができませんでした。初めが肝心です。
猪井さん:海外駐在を考えている方へアドバイスをお願いします。
浦瀬さん:まずは「海外へ行きたい」と公言して手を挙げ続けることだと思います。海外駐在した自分をイメージして、今できることを一生懸命することも大事です。
猪井さん:強い信念をもって努力すれば叶うと…
浦瀬さん:実際、駐在員になるまで12年ほどかかりましたが、公言していたことでたくさんの方々に応援やサポートをしていただき、良いご縁につながったと思います。海外では、自分で判断しないといけないことも増えます。自分の考えをしっかり持ち、決断を繰り返していくことは、将来きっと役立ちます。海外で得られるものはかなり大きいです。
猪井さん:2024年4月帰国されて現在は、神戸支店。もう一度海外駐在のチャンスが回ってきたらどうされますか?
浦瀬さん:私がトレーニーとして初めて渡米した2013年や2回目の2017年、駐在していた3年半の間も、ミウラアメリカの変化や成長を感じました。今後もミウラの製品がアメリカ市場に受け入れられて、会社が成長していく姿をぜひ自分の目で見てみたいですね。
あとがき
猪井さん:穏やかな笑顔が印象的な浦瀬さん。内に秘めた熱い思い、芯の強さを感じました。
「念ずれば花開く」そのためには、わずかなチャンスも逃さずコツコツ努力することだと改めて気づかされました。
迷っている時間はありません。人生は一度きり…
一歩踏み出せば新しい自分に出会えるかもしれませんね。