2026年6月、本社本館ビル(以下「本社ビル」)の外壁改修工事が始まりました。 このビルには、創業者三浦保も思い描いた100年企業へ向かうミウラの覚悟が幾重にも刻まれています。
この建物に込められた本当の意味を知る人はどれほどいるでしょうか。
今回の記事では、1989年の本社ビルが建設された当時を知る白石元会長と、当時から現在まで建物の歴史を見守り、このたびの修復も手がけている門屋組の社長・副社長にインタビューしました。
プロフィール
しらいし しょうぞう白石 省三
SHIRAISHI Shozo
三浦工業株式会社 元代表取締役会長
1942年生まれ。1968年に三浦工業へ入社。1989年、46歳で代表取締役社長に就任。15年間にわたり社長として同社のグローバル化、テクノサービス事業への転換、情報化推進を牽引した。その後、会長を経て退任。愛媛県経済同友会代表幹事や松山商工会議所会頭なども歴任し、地域経済の発展にも大きく貢献した。
かどや てるひこ門屋 光彦
KADOYA Teruhiko
株式会社門屋組 代表取締役社長
1978年生まれ。2006年に門屋組へ入社。2009年、創業100周年を目前に4代目社長に就任(当時31歳)。「満足・信頼・感動していただこう」をモットーに全社一丸の経営を牽引。2025年には売上100億円を達成し、「地図に歴史に人の心に留まる建物を見守り続けます」を掲げ、地域の持続的発展に貢献している。
みずの こういち水野 耕一
MIZUNO Koichi
株式会社門屋組 取締役副社長
1956年生まれ。1978年に株式会社門屋組へ入社。技術職として現場に従事したのち、取締役建築部長、常務取締役、専務取締役を経て現職。1983年竣工の株式会社三浦工業技術開発センター(現・第二事務所)の建設や各所営繕工事に携わり、構内通路にあるユーティリティラックは思い出深い工作物。
簡素な旧社屋から「一流」への躍進――1980年代後半の熱気と決断
――1989年(平成元年)11月「本社ビル」が竣工しました。当時のミウラはどんな空気感だったのでしょうか。

白石
当時のミウラは設立30周年という大きな節目を迎えていました。社是にもある通り、「我々はわが社を最も働きがいのある、最も働きやすい職場にしよう」というのが創業以来のモットーです。社員一人ひとりが指示されるのを待つのではなく、「自分が何をすべきか」を自ら考えて実行し、達成感を得る。そうした活気と自律のモードが社内全体で高まっていた時期でした。
ただ当時の本社事務所といえば、スレート屋根の簡素な鉄骨2階建てでした。手狭で、社長室も建物の隅に北向きにあるような環境でした。
▲竣工当時の本社ビル――新しい本社ビルが建ったことで、社員の皆さんの意識にも変化があったのでしょうか。
白石
それは大きかったですね。社内の士気は格段に上がったと思います。この頃はまさに一部上場企業へと駆け上がっていく時期でもありましたから、「一流の会社へ脱皮した」という誇りと実感が沸いたのではないでしょうか。
この時期、創業者の三浦保さんは経営陣の世代交代を大きく進めようとしていました。私自身、46歳という若さで社長に抜擢されたのですが、それも「これからは国際化とコンピューターの時代だ。若い世代にどんどん権限を譲り、任せていこう」という決断からでした。三浦会長が残した言葉に「脱皮できないヘビは死ぬ」というのがありますが、この本社ビルはミウラが新しい時代へと脱皮するための「象徴」でもあったのかもしれません。

創業者・三浦保の情熱と、施工に込められた「異例のこだわり」
――この本社ビルには、創業者である三浦保さんの強いこだわりが凝縮されているとお聞きしました。
白石
三浦会長は既存の枠にとらわれない、ユニークな発想を好む人でした。外観をご覧になると分かりますが、窓の配置がランダムに上下左右へずれた「ジグザグ」のデザインになっていますよね。通常のオフィスビルなら整然と格子状に窓を並べるのが普通ですが、これも三浦会長ならではの提案とこだわりでした。
▲三浦保さんがデザインした窓
白石
そして何より象徴的なのが、外壁を覆う「えんじ色」の陶板タイルです。当時のボイラにも使われていた代表的な色であり、ご自身が陶芸を深く愛されていたこともあって、焼き物特有の温かみと重厚感のある赤色に並々ならぬ情熱を注いでいました。
門屋
この外壁タイルは、当時としても本当に凄まじいこだわりだったと父(先代社長)から聞いています。一枚一枚焼き付けで作られた大判のタイルなのですが、保さんが求める理想の質感・色合いが出るまで試行錯誤を繰り返したそうです。「この色じゃない」「これはいかん」と徹底的に追求されたため、現場の苦労も並大抵のものではなかったと聞いています。

門屋
今、これと同じタイルを一から焼いて全外壁に貼ろうとしたら、莫大なコストがかかります。それだけの投資をして作られたからこそ、35年以上経った今も松山の地に異彩を放つ、唯一無二のランドマークであり続けているのだと感じます。
――水野副社長は、当時の施工現場に直接携わられていたそうですね。
水野
はい、私は昭和58年に竣工した技術開発センター(現在の第二事務所)の建設や、各所の営繕工事などにも携わってきました。構内通路にあるユーティリティラックは、若い頃に私が図面を描いて施工した、とても思い出深い工作物です。

水野
このビルは、内装においても特徴的な建物ですよね。エントランスに入ると3階まで吹き抜けるダイナミックな空間があり、三浦会長ご自身が焼かれた陶板やステンドグラスが飾られていて、当時からかなりめずらしい設計でした。
▲本社ビルのロビー
白石
実はね、「屋上にプールを作ろう」というアイデアまであったんですよ。さすがに水の重さと構造上の問題があり、設計段階で見送りになりましたが、ほかにも使う人の心を豊かにするアイデアが次々と飛び出しました。売上や利益に対する投資額としても当時のミウラにとって大事業でしたが、「良い環境を作り、人を育てる」という三浦会長の信念にブレはありませんでした。
1989年11月8日――竣工の喜びと、受け継がれる縁
――1989年(平成元年)11月8日、無事にビルが完成し、竣工式が執り行われました。当時の思い出をお聞かせください。
▲本社ビル竣工式典のようす
白石
門屋
毎年、餅つきしてましたよね?僕も幼いときに父に連れられて何回か参加しましたよ。
白石
当時から、年末には餅つき大会をやっていました。年末にみんなでお餅をつくことは、経営者として特別な意味があると三浦会長は言っていました。 ミウラが目指す「社員を幸せにする」につながる取り組みのひとつだったとも言えます。

門屋
保さんは、一緒に仕事をする仲間とその家族のことも大事にしてくれる人でした。当時、保さんが立ち上げた「泥酔会」という作陶と酒談・歓談の集いがあったんですけど、僕もよく父に連れて行ってもらいました。みんな酔っ払っているなか、保さんが僕と遊んでくれたこともよく覚えてますよ。相撲をとってくれたりね…!

門屋
父は、「人の出会いで今日がある」と言っていました。父は24歳のときに実家に連れ戻されたのですが、当時、会社はちょっと危うい状況だったんです。そんなときに、いろいろ声をかけてくれて繋いでくださったのが保さんだったと聞いています。
ミウラのビルを通るたびに、この建物に対する思い入れをずっと父から聞いていました。当時から僕はこの外壁の色がすごく好きで、8年前に自宅を建てた際、外壁のタイルをこのミウラ本社ビルと同じ色調の焼き付けタイルにしたんです。「同じえんじ色にしてくれ」とこだわりました。保さんと父が紡いだ絆、そしてこの建物の佇まいは、私にとっても経営者としての原点であり、憧れそのものなのです。
時代を超えて巡る改修工事――建物に「命」を吹き込み直す職人技
――そして現在、この歴史的価値のある本社ビルの外壁修復工事を、再び門屋組様が手がけられています。今回の工事における技術的なこだわりについて教えてください。
水野
今回の改修工事は、2026年6月から約9ヶ月間かけて、外壁タイルの補修や屋上防水工事などを網羅的に行っています。

水野
一番のこだわりは、やはり外壁タイルです。タイルの状態を一つひとつ確認し、経年劣化やひび割れがある部分は貼り替えていくのですが、既製品のタイルを貼ってしまうと色味が浮いてしまいます。ミウラさんのタイルは窯の火加減で濃淡が出る絶妙な風合いを持っていますから、当時の色調に合わせてタイルメーカーで特別に焼いて補修を行っています。
また、内部のコンクリートに発生している目に見えない微細なひび割れや漏水箇所を先に補修・注入し、建物の「骨組」から直したうえで新しいタイルを貼るという地道な工程を徹底しています。
門屋
建物も人間と同じで、生きています。そして定期的なメンテナンスという「ホームドクター」の手が入ることで、何十年と命をつなぐことができるのです。

門屋
私たちが掲げる理念に「地図に歴史に人の心に留まる建物を見守り続けます」という言葉があります。創業者が作った建物を、時代を超えて先代から引き継いだ私たちが再び修復させていただける。これほど地元ゼネコン冥利に尽きるご縁はありません。施工して終わりではなく、これからもずっとこのビルを見守り続けていく覚悟です。
ハードから「テクノサービス」へ――未来のミウラ社員へ贈るイズム
――このビルとともに進められてきた「ハードからソフトへ」という変革は、現代のビジネスモデルの先駆けでもありましたね。
白石
ええ。本社ビルが建った当時、ミウラは単に良いボイラを作る会社から、メンテナンスなどの付加価値を届ける会社へと舵を切りました。 当時は珍しかったコンピューターをいち早く導入し、「これからは英語とコンピューターだ」という三浦会長の先見の明のもと、海外展開も本格化させました。社員が自ら目標を立て、挑戦する風土が作られていきました。
門屋
実は、当社の現在の経営理念にも、ミウラの「メンテナンス」の考え方を強く取り入れさせていただいています。建物を建てて終わりではなく、その後の維持管理やパートナーシップを大切にする。この姿勢は、業界を超えて地域企業が連携していくうえでの大きな道しるべです。

――最後に、新しく生まれ変わる本社ビルとともに、これからのミウラを担う若い社員の皆さんへメッセージをお願いいたします。
水野
今回の改修によって、次の時代へと確実にバトンをつなぐことができました。この建物の内部も継続してメンテナンスさせていただいておりますので、誇りを持って仕事に打ち込んでいただけたら嬉しいです。
門屋
この本社ビルには、三浦保さんをはじめとする先人たちの情熱、夢、繋がりがすべて詰まっています。世界のミウラへと飛躍する今だからこそ、地元・愛媛に根を張るこの拠点を大切にし、未来を切り拓いていっていただきたいと願っています。
白石
時代が変わり、働き方が多様化しても、「自分で目標を掲げ、主体的に挑戦する」という仕事の面白さは変わりません。失敗を恐れずに挑む姿勢こそが、自分を育て、会社を進化させます。 このビルという礎のもとで、若い世代の皆さんが自由な発想と熱意を持って、新しい歴史を力強く紡いでいってくれることを期待しています。

取材を終えて(編集後記)
取材を準備する際、両社の社史を読み、お互いに「イズム」があり、それを紡いでいこうとする覚悟に強い共通点を感じました。それをつなぐことも、このミウラplusの役割だと思っています。 また、ビル完成当時の門屋社長はまだ小学生。にもかかわらず、保さんとの思い出をここまで熱く語ってくださったのは、先代がご縁を大切に育んでくれていた証拠に他なりません。 世代を超えて受け継がれる「熱量」に触れた今回の取材。両社で育まれてきた思いを感じながら、この改修工事の完成を今から楽しみにしています。