ミウラの人財育成の歴史とイズム【ミウラの社員は世界一!?】ミウラ流・人の育て方<第1弾>
これまで長きに渡り築き上げてきたミウラ独自の教育制度について
第1弾:ミウラの人財育成の歴史とイズム
第2弾:数字で見るミウラの研修ココが凄い (7/3公開予定)
第3弾:三浦リラトレセンターの社員に聞いた!ミウラの研修のリアル (7/10公開予定)
の3つに分けてご紹介します。
第1弾は、書籍『三浦グループ創業者物語 伝記 三浦保』、『三浦工業50年史』から、三浦工業の人財育成の歴史と、創業当時より受け継がれる「挑戦や失敗を恐れずに、仕事に厳しく、人にやさしい」そんな“ミウライズム”の考え方について振り返ります!
ミウラの教育制度<変革>年表
- 1968年 「世界一安くて良いボイラを創ろう」を宣言、売上10億円突破
- 1970年 社員にゆるみが!?意識改革のため一風変わった「DMP訓練」を取り入れる
- 1972年 「我々はわが社を、最も働きがいのある、最も働きやすい職場にしよう」をモットーに掲げ、事業体制の再構築がスタート
- 1983年 社員研修制度の改正 新人研修の期間が1~2週間から1カ月に延長
- 1984年 本社工場に隣接する施設を改装し、「三浦研修所」を 開設
- 1987年 三浦工業の“教育元年” 「未来を拓くテクノサービス」にスローガンを変更、研修所が新たに生まれ変わる
- 1989年 施設を全面改築し「新三浦研修所」となり、「三浦リラトレセンター」と呼ばれるようになった。
会社の急成長とともに感じた“危機感” 「教育制度の再構築」
1968年、年頭の挨拶で三浦保は全従業員(当時157名)の前で、「世界一安くて良いボイラを創ろう」と呼びかけました。唐突ながら、まるでその言葉に導かれるかのように、あっという間に売り上げ実績は83億円、資本金9,600万円、社員数599名の大企業へと成長。
一見、順風満帆のように思いきや、その裏で三浦保はある危機感を抱いていました。
社員の単純なミス、後を絶たないクレーム、組織の不備がもたらすトラブル…。
社員の数が増えるにつれて、それに比例するように業務の中で社員の“ゆるみ”を感じる場面が増えていたのです。
この状況を目の当たりにした三浦保は、
「世界一のボイラメーカーになるには、社員がまず優秀でなければならない」と考えました。
もう品質だけに頼って成長していくわけにはいかない、早くしっかりとした教育制度を作らなければ―。
ここから、ミウラ独自の教育制度について本格的な検討がはじまりました。
ミウラ独自の教育制度がスタート
提案したのは、当時の総務部長。三浦保にこう言いました。「新人研修を1カ月間で実施してはどうでしょうか?」 この頃、新人研修は1~2週間で実施されており、それを1カ月に延長となると関わる人の労力も、費用もかかります。
総務部長が提案したのは以下の内容でした。
会社説明、工場見学、社会人としての心得、ビジネスマナーの基本動作、報告文書の書き方などの基本的な研修から、DMP訓練(※)を一部ミウラ流にアレンジした研修など、1カ月間ギッシリと詰められたスケジュールでした。
この提案に、思わず三浦保本人も「ワシは受けたくない」と漏らしたそうです。
当時、新入社員は50~60名、新人研修にかかる費用は約2,000万円にもなると想定されました。それでも、三浦保は「やるべきだ」と判断。この頃、自社の研修所がなかったため、1週間ごとに会場を変えながら実施しました。
2~3年続けることでこの制度も根付き、遂に自社の研修所を設立することになりました。
(※)DMP訓練とは自衛隊の訓練法を一部取り入れたもので、ビジネスの基礎と物事の本質を見出す思考法を教えてくれるもの。DMPとはDynamic Management Programの略。
社員の学びの場!「三浦研修所」が誕生
研修所が設立されたのは、1984年(昭和59年)のことでした。
場所は、三浦工業本社の裏の土地。もともとここは、愛媛県立中央青年の家の跡地で、県が所有していたそうです。
- 土地面積:1万5,000㎡
- 建物面積:1,500㎡
- 部屋数:和室9室、講義室1室、食堂ほか
- 厚生施設:バレー、バスケットコートほか
開所式で、三浦保はこう話しています。
「会社における社員教育の大切さについては、どこの企業でも真剣に考えているはずだ。また、どの企業も何らかの形でこれを実施している。問題は、それが日常の業務活動に結びついているかどうかだろう。この意味において、職場での上司や先輩からの教育が最も大切かもしれない。日々の仕事を通じての上司や先輩との切磋琢磨から体得してゆくものが、血となり肉となって、社員は大きく成長するものである。この職場内教育を補うものとして、社員研修を位置づけたい。今後は新人研修だけではなく、いろんな種類の研修を推進したい。三浦工業の社員に停滞は許されない。死ぬまで知識の吸収と技術の研鑽に努め、活きいきとした目を持つ“仕事師”であり続けてもらいたい。」
1987年は「教育元年」!顧客に信頼される人財を育てるために
1987年、社員研修も定着してきた頃、20年以上掲げられていた「世界一安くて良いボイラを創ろう」のスローガンが「未来を拓くテクノサービス」に切り替わったのです。
これからの時代、世の中からはモノよりもサービスにニーズが集まると考え、三浦保は「テクノサービス」の理念を精力的に説き続けたのでした。
- テクノとは、顧客に役立つ技術のことです。
- サービスとは、自分という人間が顧客に愛され信頼されることです。
- テクノサービスとは、この二つを掛け合わせたものです。
そして、この言葉は今も社員研修の際に全員で唱和されています。
この、テクノサービスの実現には、社員の成長が不可欠。社員が十分に学ぶことができる環境を作るために、テクノサービスの理念が社員に浸透した1987年を教育元年とし、手狭になった三浦研修所の設備を充実させ、1月17日に新たな研修所を開所しました。
そこから、会社全体で研修に対する意識変革が起こり、学ぶことへの意欲が向上していったのでした。
受け継がれる「学びの場」
現在、研修所では、新入社員研修をはじめ、職種や役職ごとに分かれ、座学を中心とした様々な社員研修が年間約300回も実施されています。
敷地内には三浦保の銅像が建てられ、生前残されたたくさんの言葉が、研修所館内の廊下にズラリと掲げられています。
その言葉一つひとつは、社会人として大切にすべきこと、ミウラで働く社員なら忘れてはいけないこと、お客様に満足していただくためのサービス(接客)の向上に繋がるものです。
新入社員はこうして、研修期間中に自然とミウライズムを身につけ、先輩社員は訪れるたびに、初心に帰ることができる。
そんな研修所では、今もなお新たな学びが生まれています―。
次回、「ミウラ流・人の育て方」第2弾では、ミウラが現在行っている研修内容と、研修所「三浦リラトレセンター」の設備について、数字をもとに解説していきます。
第2弾は、7/3公開予定です。公開をお楽しみに!
参考書籍:『三浦グループ創業者物語 伝記 三浦保』(手前)、『三浦工業50年史』(奥)より転載。記載事項、写真を抜粋。