三浦保さんが生きていたら、いまの僕たちにこう言うだろう
このモットーは、50年経った今でも引き継がれていますが、果たして、今の社員たちにどこまで届いているのでしょうか。
モットーができた背景・真の意味はなにか?
そして、三浦保が生きていたら、今のミウラを見たら何と言うだろう・・・。
技術部長として三浦保さんとともに長年ミウラを支えてきた、茅原敏広さんをお迎えし、ざっくばらんにお話を伺いました。
今回の登場人物
かやはら としひろ
茅原敏広
プロフィール
1973年 三浦工業(株)入社。東京エンジニアリング事業部課長、営業本部・MI推進部長、技術部長・特需部長、電機事業部長・システム事業部長を経たのちに、1994年、(株)三浦研究所代表取締役社長、1995年に常務取締役に就任。2004年三浦工業を分社し(株)三浦プロテックを設立。2009年退職以降も、愛媛大学工学部・技術アドバイザー、岡山理科大学工学部・非常勤講師、(株)イワキ・社外取締役などでも活躍。
ないとう ともこ
内藤朋子
プロフィール
2013年入社。勤務10年目。アクア事業部 アクア推進課、RDセンター 環境研究室、RDセンター FM研究室を経て、現在R&Dブロック滅菌・洗浄開発室にて、病院向け商品の研究・開発や食品工場向け商品の開発を行っている。「決めたらとことん」行くタイプ。あたらしいチャレンジが大好き。
にしお あつと
西尾篤人
プロフィール
2018年入社。勤務5年目。ボイラ技術部ボイラ技術課を経て、2022年4月からボイラ技術部CNボイラ技術課にて水素焚き高圧ボイラの開発を行っている。今、楽しいのは日々新しい知識を蓄えながら業務を行えること。辛いのは、開発スケジュールに追われること。
「言葉」は「夢」と共にないと意味がない
「我々はわが社を最も働きがいのある、最も働きやすい職場にしよう」というモットーは、いつ頃できたのでしょうか。
このモットーができたということは・・・それまでは、働きがいのない職場だったのでしょうか。
僕が入社したときは、既に社内にモットーが書かれた張り紙がしてあって、朝礼でも唱和してたよ。
仕事はポーズとしてやっても、面白くないやろ。一人ひとりが意欲をもってやらんと意味がない。
「楽しくない仕事だったら、上司に言って、代わってもらえ」、「嫌な仕事で成果がでるわけがない」ってね。たもっちゃんはそんな人だった。
「仕事」を、人間として生きるための最も重要な要素としていたから。
君たちは、このモットーはちゃんと腹に落とし込めているのかな?
もし、理解していないのなら、それは経営者の啓蒙が足りてないんじゃないのかもね。
モットーの唱和は、朝礼で毎日しています。
当たり前のように唱えているけれど、実際みんながどのような思いで唱和しているのかは分からないです。それに関するコメントは殆どないので・・・・。
それは、単なる “言葉” になっとるんじゃないかな。
たもっちゃんは、社員一人ひとりがモットーを実践しているか、声かけてまわってたからね。みんなの肩を叩いて、「オイ!やっとるか?」って。だから一体感があったのよ。
今、宮内社長が何をやりたいと思っているか、分かる?
ぱっと答えられなかったら伝わっていないのと一緒!社長は、社員の元に降りてきてくれてるかい?
先日、社内で新商品のプレゼンをする機会がありました。社長から多くの質問があり嬉しかったです。誕生日は、お祝いメールが届きます。
そうそう。そうやって、トップは社員とコミュニケーションを取らないといけない。
たもっちゃんは、いろんな重役との飲み会をうまいこと言って逃げ出して、いつでも社員の飲み会に混ざっていたよ。そこで社員の話を聞くことはもちろん、自分の夢を語っていた。上の人ほど自分を見せて、夢を語らんといかんよ。
語ってるトップの姿を何度も何度も見ていると、トラブルが起こったときも、「社長なら、こう処理するやろな」っていうのが分かってきて、自分で処理ができるようになる。
西尾くんも、嫁さんの考えてることは分かるやろ(笑)?家族のなかでも、会社のなかでも、結局は同じ。
確かに、妻が考えていることはなんとなく分かりますね。
会社のことは・・・どうだろう。大きな方向性は分かるけれど、「こういう夢がある」というのは、自分にはあまり伝わってないかもしれないです・・・。
たとえば、「スーパーメンテナンス」っていう言葉あるやろ?中身、分かる?
言葉は言葉でしかない。「自分は何をしたいのか」と、「言葉」とが結びつかないと、意味がないよ。たもっちゃんが言ったことを、次の社長が生かして、またその次の社長も生かして、語り続けていかんといかんのよ。
あの人の言葉はすごかった。子どもにも分かるぐらい、平たくて、堅苦しくない。それでいて哲学的!
今、会社自体の価値観を、もう一度深めんといかんタイミングかもしれんね。
モノづくりは執念! “しゃかりき”にやれば見えてくる
在職中に印象に残っている開発エピソードはありますか?
入社後最初の方は「三浦研究所」の前身となるRDセンターに入って、吸収式冷凍機の開発をしてたんだけどね。
バーナであたためて冷たい水をつくる機械で、1~2年は3人のメンバーで見よう見まねで作ってたんだけど。そのとき、たもっちゃんはよく現場に顔を見せてたな。「下が熱くて、上が冷たいんやね~」って、さわって不思議そうにしてたよ。
おもしろいことがあると、来るのよ、現場に。自分が忙しいときは、日曜日に呼び出されるわけ。「工場に来て、見せなさい」って(笑)。
※RDセンター:主に新技術の開発・研究を行う部門
技術の現場を常に気にされてたんですね・・・。羨ましいです。
創業者には執念がある。「モノをつくりたい」という執念!
私が技術部に転勤したときは、クレームばっかりで。FX、MX、TX…機種の名前に「バツ(X)」がついとるやつは、全部クレームがあったね(笑)。
SQ(ミウラの主力ボイラ)というのは、たもっちゃんの発明なんだけど、実は小さいガス焚きボイラMXの失敗からできていて。
MXのバーナは、台座にザルの様な半球の金網にセラミックボールを埋め込み、その半球内部でガスと空気を混合させて隙間から炎を出すタイプのボイラなんだけど、セラミックボールが熱膨張で割れてしまった。
当然クレームになったんだけど、たもっちゃんはそれを冷静に見て「この状態で安全に燃えるんやったら、台座部だけでバーナにできるんじゃないか」って。この発想のおかげで、SQのコルゲートバーナが誕生したんだよ。
SQにそんなエピソードがあったんですね。SQの要素技術・・・、昔から変わってないですね。SQの次の新技術も、まだ完成していないです。
そやろ・・・。20~30年も、コルゲートバーナの作り方が変わってないって。
たもっちゃん見たら、「なにしょんや!」って言われるぞ(笑)。
それは僕も思っているところなんですけど、なかなか進められないですね。
社長が一生懸命やっている姿を見て、感動して。「こんだけ社長が現場に出て、一生懸命やっているんだから、僕らもやらんといかん」って思う。それが、“教育” なんだよ。
社長自らがやるのを見て、元気をもらう。毎月、文章書いて、朝礼でしゃべり、技術部会で「これどうなってる?」って聞いて。
だから、働きやすい職場ができる。創業者自らが、しゃかりきでそれをやってた。
今も、「現場にどんどん行ってお客様の声を聞きなさい!机に座っていても分からない。」と言われているので。私たちも部下と一緒に、いろんな現場に行っています。
そう。それでいい。
モノを見て考えない限り、アイデアなんて浮かぶことはない。ミウラにないものをつくらないと!
保さんは、新しいことを始めるときは、「これをやったら絶対売れる」っていう確信があったんですかね?
それは、分からなかったと思う。ただ、「今、この世の中になくて、あったら楽しそう!」それだけだったんじゃないかな。
意外と、世の中のニーズは現場を見てたら分かるものよ。しゃかりきになって、一生懸命やってたら頭のなかの回路が整理されてくる。自ずと自分がするべきことがはっきりしてくる。そういうもんよ。
「自分のしたいこと」を、アウトプットする
「ボイラをつくって世界一になるぞ!」って、めちゃくちゃ分かりやすい指針だと思うんだけど。今のミウラには、そのような言葉はあるかな?
「熱と水のミウラ」ですかね。
それってどんな熱?水?やっぱり、伝わって来ないんだよなぁ~。
上司が、「これをやりなさい!あとは任せたぞ!」って言っても、よっぽどそれをやる熱意や意図が伝わらないと、できないよね。
やっぱり、トップが想いをアウトプットせんと。
僕にとっての理想の職場は「“おもしろい”と思ったことをみんなでディスカッションしながらつくっていく」っていう環境なんです。
入社して感じたのは、「思ったより、みんな大人しい」ってことでした。「言われたことはやるけど」っていう人と、熱く夢を語る人とのギャップがある気がします。
アツい想いはどうなってるの?
アツい想いは、どんどんノートに貯まっていって…。
とくに発表はしてないです。チャレンジする時間が少ないって感じています。
言われたことはやらないといけない。残業の管理が厳しいから、「やりたいから残る」っていうこともできなくて。
私は、「技術研究会」に参加してます。「世の中にはいろんな技術があるから、試しにやってみよう!」という研究会。
月に何時間か、各部署の有志で集まるのですが、こだわりが強い人が集まるマニアックな会で、とても楽しいです。
昔は、こうやって、みんなで話し合いながらつくるのがスタンダードだったんでしょうね。
いや~僕らは17時になったら仕事はパッと辞めて麻雀やってたね(笑)。
CADの時代ではなかったけど、実際君らも、机の前に座って作業するのって一日のうちでも数時間だろ?電話したり、会議したり、ぼーっとしたり。現実の時間ってそんなもんですよ。
今も昔も変わったもんじゃない。ただ、今と昔、何が違うかというと、「自分のしたいこと」があるかどうか。そこが曖昧だと、自分のせいなのか、会社のせいなのかも分からなくなる。
今は、調べれば情報なんていくらでも手に入る。YouTube観ただけで知りたい事が出てくる時代。何かやろうとするときに、これほど恵まれた時代はない。
ただ、「自分のやりたいこと」が分からない、もしくは曖昧な人が多いんじゃないかな。
社長だけじゃない。一人ひとりが、自分の夢を発信していかないとね。
脱皮できない蛇は死ぬ
保さんが生きていたら、今の僕たちになんて言うと思いますか?
「昔と全然変わっとらんのぅ~。むしろ従業員の笑顔が減ったんじゃないか~」ぐらい言うんじゃないかな。
昔は、実験するためのお金を用意するのも、不安と背中合わせだった。今は、モノは安くなっているし、お金も情報もあるはずなのに、なんで変わらんの?
石油は高くなってくるし、世間はサステナビリティとか言ってるんだから、そろそろ次世代ボイラの準備をしないとダメなんじゃないの。
世界情勢も見ながら、戦略を練らないといけないのに、これからのミウラはどうするの?生きる道筋を立てないといけないよ。
たもっちゃんがいつも言ってた言葉で好きなのは「脱皮できない蛇は死ぬ」。
たもっちゃんは常に自分の夢を語って、それに向かって変化をし続けていた。今は、「あがき」がないって言うのかな。もっとみんなで議論した方がいいんよ。
人が知恵を出して、会社が金を出す。人がいきいきと働けない会社は腐っていくよね。
たもっちゃんはすごかったけれど、人間だったら誰でもできることをしていただけ。
結局は、コミュニケーションと「夢」なんよね。
これからの1年、どんなことがしたい?そういうことを言わせてあげられる環境じゃないといかんよな。
やっぱり、「仕事を好きになる」ための環境って必要ですね。
まわりがネガティブな空気だと、言うに言えなくなっちゃいますもんね。やっぱり、上司から、自分のやっていることに興味を持ってもらえると嬉しいと感じますし。
だから、私も部下の話を聞いてあげられるような上司になりたいって思います。
今、スマホ見たら分かるけど、ICがめちゃくちゃ小さくなっているよな。軽くて電圧が小さくて多機能で。
ミウラの電気設備も、それに対応する設備コストが高額になったらどうするのか。外に頼むのか、内作でつくるのか。
会社の生き残りのやり方は、それぞれの部署であると思うのだけど、誰が気にしてるか、だよなぁ。
社長ひとりが気にしていても、限界があるから。たもっちゃんだって、ひとりで会社を立ち上げたわけじゃない。川人さん(技術)、福村さん(営業)、この3人の協力で成長させた。
スーパーマンだってひとりじゃないんだよ。みんなで力を合わせないと。
やっぱりコミュニケーションが一番大事なんですね。今、社内に活気がないと思うのなら、まずは自分からですね。
お話を聞いて、積極的にコミュニケーションとっていきたいなって思いました。
「お客様だけではなく、一緒にお仕事する人もお客様」だということを忘れないで、相手の気持ちも汲みながら、お互いの意見交換をしていけたらいいなって思います。
よい商品をつくっていきたいです。
まとめ
切れ味のよい、茅原さんのトークは、まるで三浦保さんと一緒におしゃべりしているような感覚に!
「昔にあって、今のミウラに足りないものは何だろう・・・」そんなことを考えさせられたインタビューでした。
情報ならいくらでも集まる時代、モノも技術も進化している。ただ、足りていないものは、「夢」を語り合うことなのかもしれません。
情熱が足りていないわけではない。「誰にも遠慮せず、自分の夢をアウトプットすること」。自分の夢だけではなく、仲間の夢も一緒に共有する。そんなことが、必要なのかもしれません。
あなたの夢はなんですか?この1年間で、何をしたいですか?ミウラとして、どんなパーパスを持ちたいですか?
それぞれが、考えるきっかけになりますように・・・・!
茅原さん、貴重なお時間をありがとうございました。