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ミウラとヒト

ゲームチェンジャー ~ミウラアメリカを長年見続けてきた男たち~

英語で「ゲームチェンジャー」という言葉がある。今までの常識をがらっと変える人やもののことをさす。日本ミウラの人たちは忘れているか気づいていないかだろうが、ミウラは産業用ボイラという業界でのゲームチェンジャーなのである。その「ゲームチェンジの波」はすでに日本は通過してしまったが、世界にはまだ伝播している。その波が今アメリカや米州各地に到達しつつある。社員・代理店として長年にわたってミウラアメリカの成長を見続けていたポールとマイク。ミウラアメリカのゲームチェンジャーともいえるこの二人に熱い思いを語ってもらった。

今回の登場人物

話し手

Paul O’Donnell

ポール・オダノウ

ミウラアメリカ Executive Vice President

プロフィール

アメリカ合衆国 ジョージア州在住 1972年生まれ
2005年に営業員としてミウラアメリカに入社。アトランタオフィスを立ち上げ、南東部に強固な代理店ネットワークを構築。最初の3年間でこの地区の売り上げを約7倍にした。家族ビジネスのサポートで一時的にミウラを離れた時期もあったが、2016年に友人テイトの強い誘いを受けミウラに復帰。藤原現社長、越智前社長とのチームワークで、ミウラアメリカはここ2~3年で堅調な売り上げ利益状態になった。マイクは入社時の先生役で、長年の親友。17歳の愛娘ナイヤと愛犬(秋田犬)とリラックスするのが楽しみ。

愛娘ナイヤと愛犬(秋田犬)

Profile Picture

Mike Mazzei

マイク・マツェイ

ミウラアメリカ National Rep Development Manager

プロフィール

アメリカ合衆国 イリノイ州在住 1973年生まれ
1999年にメンテナンス員としてミウラアメリカに入社。その後営業に転向し、2007年シカゴ支店長に就任。2011年にミウラの代理店の一つであるプレミアムメカニカル社に引き抜かれ、ミズーリ州の市場拡大に貢献。2021年には全米ナンバーワン代理店を勝ち取った。2023年2月、再びミウラアメリカに復帰し全米レベルでの代理店開拓を任される。ウイークデーは出張が多いので、週末は長年のパートナー・セレストと時間を過ごす。アイスホッケーが趣味。シカゴカブスのファン。

長年のパートナー・セレストと

Profile Picture

聞き手

Tate Nagafuchi

テイト・ナガフチ

三浦工業株式会社 システム統括部長

プロフィール

1972年福岡県生まれ
2008年~2017年の9年間ミウラアメリカに駐在員として勤務。社内教育システムの確立や代理店との関係強化に努めた。ポール、マイクとはミウラアメリカ入社以来の友人で、帰国した今でも親交がある。

ノースカロライナ州 テイト通りにて

Profile Picture

インタビュー

ミウラで長年働いている原動力は?

Tate
今日は久しぶりに会えてうれしいです。この同級生3人で一緒にお酒を飲んでいたころが懐かしいですね。私は2008年にミウラアメリカで駐在として働き始めましたが、そのころすでに二人は若い支店長でした。二人はミウラで約20年という長い間働いていますがいったいその原動力は何でしょうか?

Mike
それはなんと言っても、素晴らしいミウラ商品に対する崇拝の気持ちだ。燃料代を削減できたり、スペースを削減できたり、環境負荷が低かったりと、お客様に喜ばれることばかりだ。この商品が広がった分だけ、世の中がよくなると思ってやっている。あとは、代理店・ミウラの皆さんとの強固な関係だ。いいメンバーに恵まれて自信とやりがいをもって仕事ができている。

代理店ツアー in バハマ

Paul
私の場合一度ミウラをやめているので、やめる前を第一期、復帰して以降を第二期としよう。

第一期の私を勇気づけたのは、ミウラの技術への確信だった。初めてミウラのテクノロジーに触れた時、これは他にはない技術で「ゲームチェンジャーになりうる!」と興奮した。日本人の多くはそれを忘れてしまっているだろうが、ミウラの技術は世界ではまだ新しいのだ。

第二期に関しては、ミウラの仕事がいかに社会的意義が高いか、ということに誇りを感じている。アメリカでは近年お金とか会社名とかではなく、いかに社会的意義が高くて、いかにワークライフバランスが充実しているかが仕事において重視されるようになった。その意味ではミウラは大変誇れるのだが、まだまだ周囲からは過小評価されているように思う。

Tate
日本でもだんだんそういう考え方が広がってきてますね。ポールの働き方もずいぶん変わったと思いますか?

Paul
大きく変わった。今は自由な働き方ができるし、大変チームワークが良い。Tatsuya(藤原達也 社長)、Ozzy(越智康夫 前社長)、David(宮内大介 ミウラグループCEO)から、自分自身がとても尊重されていると感じる。失敗を恐れないで何か新しいことに挑戦しようという社風がある。マネジメントも日本ミウラも問題が起こった時に隠し事をせず前面に出てSorryと言う。これはとても改善された部分で、今ではミウラの素晴らしいカルチャーになっている。

これまで乗り越えてきた困難と現在直面している課題は?

Tate
ポール、マイク、ありがとう。二人の話を聞いていると、昔に比べてずいぶんと会社も成長して、より誇れる、働きがいのある会社になっていると感じました。では、ここまで来るために乗り越えてきた困難と、いまだに直面している課題について聞かせてください。

Mike
まず営業員としての視点で話すが、アメリカでは炉筒煙管ボイラ・水管ボイラが主流で、ミウラボイラ(小型貫流タイプ)を理解してもらうのが大変であること。代理店、エンジニアリング会社への啓蒙にはこれまで時間を要した。

また、代理店を介さずに直接販売にこだわるミウラの経営陣とずいぶんぶつかった。アメリカではアメリカ人なりの考え方や常識があるので、代理店販売でないとビジネスは成長しないと思う。これに関してはミウラは何度も同じ失敗をして何度も頭を打った結果、今では代理店ビジネスを推進しており、正しい方向に向かっていると思う。

現在も直面している問題としては、図面や技術的情報、パーツ手配などに時間がかかることがある、ということだ。ただ、最近サポートセンターもできたし、ここ数年ずいぶん改善していると思う。

製品の不具合対応について代理店との協議
Yo中川の送別会

Paul
まずは、過去の困難についてお話しする。

一番に取り上げたいのは、日本とアメリカの文化的な壁だ。日本はグループの考えを重視し、アメリカでは個人をより重視する。どちらがいいというわけではないが、一緒に仕事をするうえでは障壁となることもある。私は英語で「Paralysis by analysis(分析による麻痺)」と時々言っていたが、極論すると日本人は一歩進むために1,000の質問を投げかけ、一つの答えを得るのに一か月かかる。その結果NOだと辛いし、YESでももう遅い。そして、日本人のマネジメントやアドバイザはしばしばトップダウンで物事を決め、その際二言目には、「in Japan we ~」という。ちょっと誇張した表現をしたが、こうしたことが時々あった。日本でうまくいくことでもアメリカではうまくいかないこともある、ということを理解してもらうことが難しかった。

・・・断っておくがこれらは10年以上過去の話であり、今では大きな改善が見られている。こうした文化の溝の橋渡しとコミュニケーション・相互理解の改善は、現在ミウラアメリカが好転している理由の一つであり、これにはTateとYo(中川洋一郎 前副社長)が本当に貢献してくれた。

次に今も直面している課題について話そう。

まずは永遠の課題ではある「言葉の壁」だ。コラボレーションやチームワークを発揮するためには効果的なコミュニケーションが大変重要だ。しかしそこに言葉の壁があると、効率や効果が著しく低下する。文化と言葉の壁というのはちょうどオリフィスプレート(ボイラ業界で用いられる、ガスの流れを制限する邪魔板のこと)のようなもので、その後ろに本当は大きな知見や能力があるにも関わらず、それがある限り一部しか通過できないのである。

次に日本ミウラは私たちに対して大胆な目標を掲げる割には、投資を含めた戦略・施策が保守的だということだ。

しかし、繰り返して言うが、コミュニケーション、コラボレーション、柔軟性、対応の良さ、こうした多くの問題は過去5~6年で大きく改善した。今ではマネジメント会議はすべて英語だし、80%はローカルマネージャにより意思決定されている。Tate、Yo、Tatsuya、それからOzzyを中心とした日本人マネジメントは素晴らしい仕事をした。

10年後のミウラアメリカ

Tate
とってもいい話をありがとう。私がいたころにあった色々な問題が、ここ数年で改善していることを聞いてとてもうれしい気持ちになりました。そうした改善があって、今の好調な業績につながっているんでしょうね。
では、こうして業績が上がってきたミウラアメリカですが、10年後このビジネスはどうなっていると思いますか?

Mike
まず代理店的な視点でいえば、ボイラ台数10~12台規模のミウラフルスペックのプロジェクトがどんどん広がっているような世界になっていてほしい。

次にミウラでの新しい役割からの視点でいえば、MP(トップ代理店)をもっと増やしたい。現在、MPが10社、一般代理店が24社だが、これが10年後はMPが18社、一般代理店が6社くらいになっていてほしい。最終的には24社くらいのMPで全土をカバーしたい。

クリスマスパーティにて Davidのご挨拶
代理店の皆さんとブレーブスの試合観戦

Paul
毎年10%成長するのが理想だと思う。そうすると10年で2.6倍になる。ボイラはインフラなので売れたらメンテナンスも必要で、10%程度の成長がより健康的だと思う。これから2年間は投資モードで、3年後からはプロフィットモードに入る。この段階で10%の営業利益率を上げて、ミウラの「大人チーム」に入る。今は利益を出しているとはいえ、まだ大学生レベルだ。

そして、今回のCovid-19で取り入れた働き方を継続して、ワークライフバランスの保てる会社になりたい。こうすることで2027年にはアメリカでもっとも働きたいボイラ会社になりたい。

世界のミウラへのメッセージ

Tate
二人の話を聞いていると10年後のミウラアメリカの姿が具体的かつ現実的に描かれていてとてもわくわくしますね。ありがとうございました。それでは、インタビューの最後に世界中のミウラの人たちに対してメッセージをもらえますか?

Mike
まずは技術者の方々に対して、引き続きいい製品を開発してほしい。新しい市場を開拓するためにも、より大きな容量のボイラ、より高圧のボイラがあるとありがたい。経営層の方々に対しては、引き続きローカルのリーダーを適材適所で活用してほしい。

それから、ミウラで働く皆さんに対して。今もこれからもたくさんの困難はあると思うが、粘り強く頑張ってみてほしい。僕は今回でミウラアメリカには3度目のカムバックとなるが、ずっとミウラの仕事に関わってきた。粘り強くやれば、きっと改善できるし、きっとやりがいのある仕事になる。時間がかかることもあるが、きっと最終的にはそれに出会うことができる。

僕は、ミウラはアメリカでもすでにゲームチェンジャーになっていると感じる。昔のボイラーマンは一日中ボイラ室に張り付く必要があり、頻繁にサイトグラスを確認する必要があった。それが、今はずいぶんと省力化できて、彼らの時間をもっと効果的に活用することができるようになったのだ。

ジョージア工場内ショールーム内覧会
サウスカロライナ州の大手ユーザへの社員視察

Paul
世界中で働くミウラの人たちに対して、商品、技術、ノウハウ、利益を日々生み出して提供していただけていることに対して、心からお礼を言いたい。私たちは蒸気市場と地球環境を改善するために世界中の残りの地域にこれらを提供するお手伝いをしていきたいと思っている。

そのためにはマイクも言ったように、今後商材を充実させてミウラの「コンプリート・ソリューション(日本ミウラでいうトータルソリューション)」を提供できる状態になりたい。そうすると日本の成功したビジネスモデルである「ライフサイクル・パートナーシップ(日本ミウラでいうベストパートナー)」の原理を導入できる。

日本では樹木がすでに成長しきっているので、それをさらに成長させることにはあまり興奮しないだろう。しかし世界に目を向けてほしい。その種をまけば、10年~30年後には同じ景色が世界中で見られるはずなのだ。

最後に

Tate
私自身は2008年から2017年までミウラアメリカに勤務しました。そのころと比べて今は非常にいい会社に生まれ変わって、ビジネスも好転しだしたことがわかり、とてもうれしく思いました。

創業者三浦保さんが「世界一になるためにはアメリカで一番にならないといけない」という思いで始めた北米事業。ここまで30年以上にわたって粘り強く投資を続けてきた経営層の方々に敬意を表し、北米ミウラに力を尽くしてきたすべてのローカル社員、代理店、お客様、駐在員に感謝したいです。

今回のインタビューでは特に日本ミウラの皆さんが時々忘れてしまう、やりがい、誇り、社会的意義、などを感じることができました。日々仕事をする中で、ふと世界中の仲間がこうして頑張っていることを思い出して励みにしたいものですね。

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