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ミウラとヒト

ミウラが頼る伝説の仕事師・大木一郎さんの仕事術

ミウラの製品をお客さまにお届けするまでには、ミウラの社員だけではなく、たくさんの外部の人や関連会社が関わってくれています。今回は、ミウラを古くから支えていただいている大木ボイラ工業所の大木一郎さんに、お仕事内容や、スタンスについてお伺いしました。

今回の登場人物

おおき いちろう
大木一郎

OOKI Ichiro

プロフィール

1949年生まれ。大木ボイラ工業所代表。東京出身東京在住。祖父の代から釜屋(ボイラ屋)で、小学校時代は庭の横多管ボイラを潜水艦に見立てて遊んでいた。祖母は大地主の娘、父は旧陸軍近衛部隊の皇居を守る無線将校、母は当時の日劇歌劇団の花形で日本舞踊の師範という、なかなか濃い家庭で育つ。趣味はサックス、バイク、絵を描くこと。財団法人全日本交通安全協会二輪車安全運転推進委員会の特別指導員、千住消防少年団団長も務めている。

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きぬかわ ひろき
絹川広記

KINUKAWA Hiroki

埼玉エンジニアリング部 部長

プロフィール

1972年生まれ。2006年入社。入社以来全国各地の現場へ出張し、アフター5(~7)の美味しいお店探しが楽しみ♬ 基本的に前向き・プラス思考・好奇心旺盛で、新しいもの・ことが好き。難易度が高い案件ほど、首を突っ込みたくなり自らハマりに行くことも・・・

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「釜屋」の仕事

編集部(八木)おじいさんの代から「釜屋」とお聞きしましたが?

大木

はい。昔はボイラのことを、「釜」って呼んでたんですよ。

うちのじいさんがブローカーで、どこかでボイラを使っている会社が潰れたら、そこからボイラを買ってきて、整備して売る。戦争が終わったあとは、軍艦からボイラを外して、整備して売っていました。

祖父にも父にも、ここでは書けないエピソードがいろいろありますよ。ボイラの中に検査官閉じ込めちゃったり、お金払ってくれない工場にトラックで行ってボイラ引き上げちゃったりとか。

今では考えられないけれど、そんなことが平然と行われていました。でも、僕も確実にその血を引いてますね(笑)。

編集部(八木)ミウラと取引を始めたきっかけは?

大木

たもっちゃん(創業者・三浦保)が「東京に進出して貫流ボイラを売ろう」ってことで、代理店の社長がボイラを据え付ける業者を捜してたんです。

当時は電話帳で業者さんを探すんですけど、みんなカッコつけて「○○設備」とか「○○施設」とかの名前にしているから(笑)、どこがボイラ屋さんか分からない。

あいうえお順に見てたら、「大木ボイラ」っていううちの名前見つけて、「ここ、絶対ボイラ屋さんだろう」って(笑)。そこから付き合いが始まりました。

編集部(八木)最初は、ミウラのこと信用ならないって思ってました(笑)?

大木

最初はね(笑)。「湯沸かし器のお化けつくってる会社」っていう印象でした。

当時、貫流ボイラは、漏れる、パイプが外れる、溶ける、吹っ飛ぶとか・・・そういう噂が流れていたものだったから、こっちは躊躇してたわけ。

でも、取引がはじまって、田坂さんって方が担当になるんだけど、この田坂さんがアツい人でね。技術の人なんだけど、一緒に現場まで行って帰りの電車で缶ビール飲みながら、何か計算しているわけ。何してるのかと思ったら、ハンドヘルドコンピューター*でボイラの設計をしてるの。

すごいですよ、本当に。あの人たちがいなかったら、今のミウラはないと思います。

*ハンドヘルドコンピューター・・・1982年ごろから発売された、持ち運べる小型サイズの携帯情報端末

編集部(八木)大木さんが思う「釜屋」の仕事とは?

大木

ウォーターハンマーって知ってますか?

急に蒸気を出すと、なかで衝突が起こって配管が破裂しちゃうんです。ひどいときはボイラが吹っ飛んじゃったり。それを起こしたくないからと、私に試運転を頼んできた会社があったんです。

私が持っていた道具はドライバー1本。金属の部分を配管に当てると、蒸気が漏れている音が聞こえるんです。「何メーターぐらい先で、蒸気が溜まってるな」って分かるんです。

この時は、工場の真ん中ぐらいでトラップが壊れていることが分かったので、「ちゃんとドレン出ていません。バイパス開けてきてください!」って伝えて。確認してもらったら、私が言った通りの場所に、蒸気が溜まってました。

これって経験なんです。理屈じゃないんです。これが釜屋の仕事です。

ミッションは、施工技術の標準化

大木

1999年当時の東京支店長であった現・髙橋会長が「メンテナンスの標準化が進んでいるのに、施工技術の標準化が進んでいない」ことを問題視していて。

当時スーパー営業・矢野さんと大型物件を専門で扱っていた私に目をつけてお誘いいただき、その罠(ミッション)に喜んで飛び込んじゃいました(笑)。

それから、エンジニアリング現場責任者の肩書きで名刺を持たせてもらっていました。

ボイラが搬入される手順は、営業→設備設計→搬入(重機搬入業)→施工工事(工事業者)→試運転という流れなのですが、僕は設備設計と施工工事の監督をしていました。

「想定外」をなくせば「YES」しかなくなる

編集部(八木)仕事をするうえで、大切にしていることを教えてください。

大木

まず「怪我しちゃいけない、汚しちゃいけない。

私が今までやってて、怪我人を出したことはないんです。バンドエイド事故ぐらいはあったと思うけど。病院行きみたいなことはなかった。それが私の誇りです。

怪我したら自分が痛いのは当然だけど、家族も痛くなるから、まずは怪我をするな!そして、仲間が危ないことをしていたら注意してあげる。そして、やっぱりお客さんに迷惑かけちゃだめですね。

本社ショールームの展示ボイラを前に熱く語る大木さん
大木

そして、当たり前だけど時間通りにやること

現場にボイラを運んでもらうトラックの運転手さんがいるんですが、「大木さんの現場は時間通りやってくれるから。次の仕事がとれるんです。私の生活も安定するので、助かってます」って言ってくださったんです。

絹川

地獄のような現場の話があると、一番に大木さんに電話してしまう。「大木さんならなんとかしてくれる」って、思っちゃうんですよね。

大木

僕はヤバい現場が好きなんですよね。お金や納期、限られた条件のなかでやり遂げないといけない。そんなシチュエーションだと、逆に燃えます(笑)。

絹川

大木さんがいるだけで、安心感があるんですよね。ヤバい現場を片付けるコツはありますか?

大木

想定外をなくすこと」でしょうか。「もしもこれが起こったら、どうするか?」それを徹底的に考えます。

「レッカー入れるのはいいけど、この時間、登校時間じゃない?制限ないの?」とか。「もしかしたら」を潰していくんです。そうするとNOはなくなって、YESしか残らない。私は最初から、「こうなったら、どうすんの?」ってしつこく確認するので、嫌われますよ(笑)。

でもね「想定外でした」では許されない。そのくらい、責任のある仕事を僕たちはしている。その意識が必要。

仕事と遊びの境目

編集部(八木)社内報の裏表紙に、1984年1月55号から2020年3月270号の36年間イラストを描いていただきましたので、ミウラで大木一郎の名前を知らない者はいませんよ!

大木

設計の黒田さん、クロちゃんって呼んでいるんだけど、クロちゃんが「ミウラには社内報があるんよ。大木さん絵が上手いから、描いてみん?」って言われて。

軽い気持ちで描いてみたんだけど、社内報が届いてめくってみてもいっこうに自分の絵が出てこない。「なんだ!せっかく描いたのに!」って、社内報をひっくり返したら、裏表紙になってた(笑)。

ビックリしてクロちゃんに電話したら、「うん。そこがこれから定位置ね!」って。楽しいイバラの道でした

大木さんが社内報に寄稿してくださった、イラストをまとめた冊子

編集部(八木)元々、絵を描くのはお好きだったんですか?

大木

「きいちのぬりえ」で有名な蔦屋喜一さんに塗り絵をいただいて、なぞったりしているうちに絵が好きになったんです。外で見たものを覚えておいて、家に帰ったらひたすら描いていました。

社内報には、機械を擬人化したり、ボイラを童話の主人公に見立てたイラストを描いたりしていましたね。キャラクターの衣装なんかも、よく見たらボイラの部品だったりとかね。そうするとメンテさんが喜んでくれるんだよね。

社内報「みうら」の裏表紙を36年間飾ったイラスト

編集部(八木)サックスを吹いたり、バイクに乗ったり、絵も描いたり・・・仕事との両立は大変では?

ビッグバンドでサックスを演奏する大木さん
愛車のCB400SFで二輪車特別指導員を務める
大木

どれが仕事なの?ってよく聞かれますけど、仕事と思っていないのかもね、困難な現場ほど楽しんじゃう

たとえば、現場で据え付け中に、偉い人がやってきて難癖付けるんですよ。「ここはこうだろ!」みたいな感じで。

そこで、「これをやると事故が起こるからダメですよ」って言い返して。すると今度は、「なんだおまえ!こんなボイラ持ってきやがって!」ってあんまりボロクソに言うから、「ちょっと表に出て話しよう!俺、ヘルメット脱ぐから、上着も脱ぐから。そうすりゃ位も何も関係ない。お客も業者も関係ないから、ゆっくり話しよう」って言ったら、その上の部長さんが来ちゃった。

部長さん意外にも、「うん、外で二人でやってらっしゃい」って(笑)。そしたら、相手も「いやいや、このままでいいです」って。

こういうエピソード、たくさんあります。僕は、職人さんを怒らせたり、当たったりする人が一番許せないんです。でも、こういう江戸っ子的なやり取りは嫌いじゃない。結局、人が好きなんでしょうね。

とにかく現場!現場に出ろ!!!

編集部(八木)ミウラに期待したいこと、若者へのメッセージをください。

大木

みんなきれいごとで、どんどん済ましちゃって。さっき話したように、昔は缶ビール飲みながら移動中に設計したりとか、そういう人がいっぱいいたんですよ。

たもっちゃんは、現場思いの人で現場の苦労をよく知ってる人だった。だから、決して無理を言わない。あの空気がもっと続けばもっと面白いものができると思うんですよ。

もっと暴れたらいい。でも暴れるならちゃんと基礎を持って、ちゃんと知識を持っていないといけない。もっと現場に出てくれば、もっといい品ができる。

今の社員さんには、三浦保さんの意思をもっと継いでもらいたいですね。そうすれば、「もっと自分で何かやろう!」ってことになると思う。

編集部(八木)具体的にどうすれば?

大木

情報はネットで手に入るけれど、情報を飲み込めていない。

基礎がないから、「なぜ?」って深く考えられないんですよね。ネットで見たらもう分かったフリになっちゃう。

そういう私も、かつて知ったかぶりをしていた時期がありました。現場に行って、「職人に負けちゃいけねえ」って意地を張って。大恥をかいたこともあるけど。

職人だって、最初は無知。技術を盗んで、磨いていくんです。やっぱり現場で磨いた技術が残る。

ネットで見ただけで「自分はできる」って思い込まずに、現場へ行って、熱を感じて、溶接の「音」を聞いて、「電圧上げすぎたな〜」とか、「次はこうしよう」とか、そうやって肌で感じることが大事なんじゃないかな。

大木

仕事をするとは、シンプルに「プロ」であること。目の前の人を喜ばせること。その繰り返しで人間もできていくし、会社ができていく。

出会って来た人全員に、「ありがとね〜」って言える人生がいいですね。

まとめ

大木さんと出会ってすぐ、そのオーラに魅了されました。朗らかで話しやすい雰囲気、周りの人たちへの気遣い。そして、ときどき垣間見える江戸っ子らしさ(喧嘩っ早さ!?)も、すべてにおいてチャーミングな大木さん。「人間力」を感じました。

大木さんが言われていることは、とてもシンプル。人を大事にしろ、現場に出ろ、身を守れ、仲間を守れ。簡単なように思えるけれど、肩書きやお金、身の保身を考えちゃうとなかなか実行できない・・・。「仕事ができる」とは、実は「人間力がある」ということなのかもしれません。

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